2011年 03月 21日
建築家の系譜シリーズ第二弾・石井修から学んだもの |
3/19(土)神戸で竹原義二さんの講演会「建築家の系譜シリーズ第二弾・石井修から学んだもの」を聞いてきました。
石井修が子どもの頃遊んでいたという明日香・石舞台のスライドから講演は始まりました。朝日が射す時、夕日が沈む時、雨の日など様々な表情を見せる石を見続けてきたことが、質感・素材感への興味を育む一因になったのではないか。また戦時中、軍の施設を現地の調達できる資材・人手で設計していたことが、敷地やそこにあるものを見立てる力に繋がっているのではないかと話されました。
講演は、「住宅特集」1988年5月号から1989年4月号に掲載された石井修の自邸から見える四季折々の草木に関するエッセイをもとに進みました。「自然と建築がどのようにつながっているのか」「自然との境界をつくりたくない」「土をのせた屋根は大地となり建物の姿を消していく」「住宅は人間の回帰の場所となり、生まれ、育ち、生き、そして死んでいく」など草木を説明することで、建築を語るという内容でした。
設計中の口癖は、「これって何十年後どうなっていますか?」だったとのこと。見せかけの建築への厳しい批判。耳が痛い言葉です。そして「自然の中で建築が生かされている、建築をつくらせてもらっている」との言葉を何度も聞いたとのことでした。
自然の中で人間が営むことを根本的に考えさせられた東日本大震災が起きた今、「自然の中で建築が生かされている」という石井修の思想を学ぶことは偶然ではないと思います。科学・技術が万能ではないことを謙虚に受けとめる時が来たとそう思います。また、竹原さんが最後に語られていた「継続していたものが突然なくなった今回の大震災、途切れた時間をどのようにすれば繋ぐことができるのか考える必要がある」との言葉も耳から離れません。
建築に携わる人間として、今後思考を深めていかなければならないことを考える良い機会になりました。
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石井修が子どもの頃遊んでいたという明日香・石舞台のスライドから講演は始まりました。朝日が射す時、夕日が沈む時、雨の日など様々な表情を見せる石を見続けてきたことが、質感・素材感への興味を育む一因になったのではないか。また戦時中、軍の施設を現地の調達できる資材・人手で設計していたことが、敷地やそこにあるものを見立てる力に繋がっているのではないかと話されました。
講演は、「住宅特集」1988年5月号から1989年4月号に掲載された石井修の自邸から見える四季折々の草木に関するエッセイをもとに進みました。「自然と建築がどのようにつながっているのか」「自然との境界をつくりたくない」「土をのせた屋根は大地となり建物の姿を消していく」「住宅は人間の回帰の場所となり、生まれ、育ち、生き、そして死んでいく」など草木を説明することで、建築を語るという内容でした。
設計中の口癖は、「これって何十年後どうなっていますか?」だったとのこと。見せかけの建築への厳しい批判。耳が痛い言葉です。そして「自然の中で建築が生かされている、建築をつくらせてもらっている」との言葉を何度も聞いたとのことでした。
自然の中で人間が営むことを根本的に考えさせられた東日本大震災が起きた今、「自然の中で建築が生かされている」という石井修の思想を学ぶことは偶然ではないと思います。科学・技術が万能ではないことを謙虚に受けとめる時が来たとそう思います。また、竹原さんが最後に語られていた「継続していたものが突然なくなった今回の大震災、途切れた時間をどのようにすれば繋ぐことができるのか考える必要がある」との言葉も耳から離れません。
建築に携わる人間として、今後思考を深めていかなければならないことを考える良い機会になりました。
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by m_morimoto32
| 2011-03-21 13:35
| 講演会・展覧会
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